ハーバード公衆衛生大学院でMPHをとって研究者になる

「ハーバード公衆衛生大学院でMPHをとれば研究者になれる」
という、しばしば聞く命題について考えてみたいと思います。
日本からいらっしゃる輝かしい未来のある医師からよく質問されることでもあります。
以下は経験の足らない人間の私見ですので、ご意見・指摘を歓迎します[1]。


まず、いくつか定義していきましょう。例えば人によって「研究」が指す言葉はかなり違いますからね。

対象は、日本の医学部を卒業した医師とします。
MPHを取ることを考えているくらいなので、研究の経験はまだそこまでない
(例:週3日 X 3-4年は日夜研究室にこもって研究していた、なんてことはない。今までは臨床を主に頑張ってきた)。

目指すゴールは「研究者」。
ここでは職業生活の50%以上のeffortを研究に注ぐものとします (アメリカならば自分の給料の50%以上を研究で稼ぐということでもあります)。本気度は高めに設定しておきましょう。

研究の内容はwet研究でなければ大丈夫
(例:いわゆる臨床研究、疫学研究、ヘルスサービス研究、トランスレーショナル研究まで)

MPHハーバード公衆衛生大学院の1年間プログラムまたはサマープログラム(6週間の集中コース X 3回)とします [2]。とくにClinical EffectivenessやQantitative Methodsコースなど。一年で終わる速成コースといえます。他大学院プログラムへの一般化は注意してください(一年のコースならば大差はないと考えますが)。


結論からいきましょう。
MPHをとれば研究者になれる、ということはない」です。
MPHは研究者になるための十分条件もしくは必要条件のどちらでもありません。
MPHを取った(かつ以下に述べるトレーニングのない)だけ医師で「研究者」になれた人は、少なくとも自分は会ったことはありません。逆にMPHがなくてもMDだけでちゃんとした研究トレーニングを受けた医師で「研究者」になった人は僕の周りにもたくさんいます。

もちろん、MPH留学には大きな利点があります。これらを否定するつもりはありません。
たとえば、
– 疫学・生物統計の基礎の基礎を体系的に学ぶ(統計学の本当の基礎は実は端折っています [3])
– MPHは幕の内弁当的なので、いくつかの領域をちょっとずつお試しができる(例:栄養疫学、社会疫学、遺伝疫学)

さらにはMPHどうこうではなく、海外の大学院に留学すること自体が得難い経験です。
日本または海外の研究室だけでは会えない多彩なバックグラウンド・興味・ビジョンの学生と交流し勉強すると言う経験はpricelessです。アメリカまで来てアメリカ人の友人しかできなかったらつまらないですよね。ここら辺のことは、ネットや書籍に強調して書かれているでしょうから割愛します。


ここまでで優秀なあなたなら気づいたはずです。
MPHって医学部で言えば学部2年生 (または3年生) あたりに相当するんです。つまり、講義中心で基本(例:解剖学、生理学、薬理学、病理学)を体系的に学ぶ機会に相当するです。そこそこ能力・計画性・遂行能力さえあれば一人でも学べないこともありません(近年はオンライン教育/MOOC が極めて充実しています。下手なハーバードの授業よりレベルも高い [4])。

もし一人前の「研究者」になることを一人前の外科医になることに例えるならば、解剖学・病理学(MPH相当)の後に学ぶことがいっぱいありますよね。
まずは医学部後半の病棟実習、次には2年の初期臨床研修。
そして最低数年はオペを数多くこなして技術を磨くのはもちろん、若手の教育の責任を担います。
さらには患者コミニケーション・コメディカルとのチームワーク能力・medico-legalリスク管理・財布勘定・リーダーとしての管理能力をもって、そこそこの「一人前」と言えるでしょうか。
臨床プラクティスって、医学知識と外科技術を超えた部分がけっこう大きいですよね。


その部分において、研究者も一緒なんです。
僕らの仕事(MD研究者が主に期待される仕事)はこんな感じです(きりがないので、ごく一部に絞っています):

多彩な仕事内容ゆえに、体系化することは極めて難しいことがわかると思います。さらに暗黙知的な部分が多い。。。
そしてMPHで学んだ基礎が使えるのは、そのごく一部に過ぎない。。。

したがって多くは現場で日々先人から研究プラクティスを学ぶことになります。
臨床プラクティスと共通する部分があります。


長くなりました。そろそろまとめましょう。
MDの研究プラクティスに必要なスキルセットが多彩かつ体系化が難しい(8-9割以上は学校では学べない)という背景があります。それゆえに「研究者」になるトレーニングの少なとも3つの必要条件は:

  1. 以上の研究ステップのすべてを主導し経験する
  2. 研究メンターから、以上の全てステップを(手取り足取り)教わること
  3. 多くの時間と労力を費やす(一般的には2-3年では足りないはずです)

特に2点めが最重要です。僕が相談を受けて必ず強調するのがこのポイントです。
繰り返します。若手(複数人)を一人前の研究者まで育てあげたメンターが間違いなく必要です。輝く若手研究者の陰には、例外なく素晴らしいメンターがいます。
残念ながら、そのようなメンターを多くはなく、タイミングや興味の内容・または相性といった因子もあり、自分にあったメンターを見つけるのは簡単ではありません。

視点を変えると、経験と教育実績のある研究メンターは研究機関の最大の資産となります。
たしかにハーバード医学部でもここを重視していることがわかる一例があります。ここでFull professorへの昇進基準で重視されるのが「いかにmenteesが活躍(論文執筆、グラント獲得など)しているか」という点です。第一筆者でいくら論文を出していても、Associate Professor以上では評価対象になりません。


僕も以上3つの必要条件(もちろんこれらだけではない)に恵まれ、その条件のもと研究プラクティスを過去5-6年繰り返してきました。あまり頭の回転が早くない僕を半人前まで引き上げてくれたのはこれらの条件です。

機会があれば、どのように研究者として尊敬できるメンターをみつけるか、という現実的問題について考えてみたいと思います(僕の場合は単なる偶然と僥倖)。


注釈:
[1] 炎上ラーニング?

[2] 僕はサマーMPH (45単位) でしたし、その後もComputational Biology MS (80単位中45単位がやっと終わった)で似たようなクラスの単位も取っています (例:HernanのEpi Methods 3)。ですので、それなりのアイデアはあると思われます。

[3] 確率論の基礎(例:conditioning, linearity of expectations, fundamental bridge, LOTP, LOTUS, LLN/CLT, and Markov chains)、統計学の基礎(例:data generating process, likelihood functions, interval estimations [incl. asymptotic, Bayesian], sufficient statistics, pivotal quantities, information theory [e.g., Fisher information, Cramer Rao lower bound], asymptotic behaviors [e.g., MLE, Bayesian, Delta methods])の理解がないと入門レベル以上への発展が難しくなります。以上の言葉の意味がわからない場合は自習しましょう。

[4] 例えばCourseraやEDxとか。これらでかなり勉強しています。

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