今日は日本から来てくれた先生と長谷川先生、MGH循環器科の島田先生とお昼ご飯に行ってきました。MGH周辺はそんなにお店がないんですが、今日入ったイタリアンの島田先生おすすめ裏メニューパスタはおいしかったです!
お昼を食べながら色々な話をするなかでキャリアプランの話になりました。もちろんずっと堅苦しい話をしているわけではないです…(僕は下世話な話の方が好きです!)。
どちらがいいとか悪いとかではないんですが、日本は医局制度があるので、仕事が保障されている&来年の収入も確保されていることが多いです。将来のレールもある程度引いてくれています。一方、米国、特にボストンは臨床・研究問わずpositionがcompetitiveなので多くの人が次の年のpositionを確保するのに必死のようです(終身雇用制度・年功序列 vs. 外資系などの成果主義みたいですね)。
日本にいる時はそこまでキャリアプランというものを意識してませんでした。「救急専門医をとって、臨床研究をして」ぐらいで。その時その時の興味と出会いに任せていたのですが、こちらでは「10年、20年後の自分のイメージを持って、そこから逆算し、次に何が必要か、そして何をしないといけないかを決めないと、人生は有限だからあっと言う間に時間が過ぎる」と言われます。たしかにこっちで頑張っている先生方はその辺のビジョンを常に意識していると思います。
もちろん新たな人との出会いもあったりするので、そういったビジョンも流動的なところはありますが、この一年、キャリアプランと時間の使い方に関する意識の違いを実感することが多かったです。
あと特に救急医はその傾向があると思うんですが、色々なことに興味を持つがゆえに専門を持たざる者になると、キャリアプラン的にはあまり評価されません(日本もそうかも)。500本以上論文を出し、NEJMなどに数多く書いていても自分の「売り」がないためにprofessorになかなかなれなかった人の話も出てきました。
初期研修医の時によく言われましたが、「なんでもできるはなんにもできない」、というのは臨床・研究問わず一緒のようです。昔、水戸の徳田先生が講演していた時にぽろっと「専門がないことで苦労した」的なことを言っていたこともすごく覚えています。
救急医は決断できるようで、その実決断できない人が多かったりして。
日本から来た先生が「こういうキャリアプランの話って日本にいるとほとんど出てこないですよね」と言っていました。なんとなくですが、与えられた枠組みの中で何かするのは得意でも、自分で枠を作るのが苦手な人は多いのかもしれません。
僕は苦手なので少し書き留めてみました。
まあ多くの場合、目の前のことを必死でやっていると道ができてくるものだと思いますが。